三回忌で母を想う
戦前
町から田舎の父の元に嫁いだ。
父は戦争に行けなかったので
非国民と陰口を言われ
疎開して来た父の弟家族の面倒を見ながら
農作業をし
現金収入を得るために
リャカーで
高山のまちを振り売りして歩いた
小さかった私を連れて。
宮川朝市が出来ると
私を連れて朝市に行った
冬は
編み物学校に通い
近所の若い嫁さん達に
教えた
その傍らで私も教わった。
長男、次男と二人の子供を亡くしているが
母の口から
悲しみを聞いたことが
一度もない。
父からは有る。
農作業、酪農の傍ら
母は多趣味だった。
編み物
ダンス
大正琴
民踊
ゲートボール
それをやらせてくれた父も凄いと思う。
喧嘩のたえない二人だった
頑固な父と
負けず嫌いな母
幼い私は
夫婦喧嘩の流血を見た(笑)
だけど
仲良しだったことも知っている(笑)
旅行が大好きで
温泉が大好きで
晩年
彼女の姉妹も友人も亡くなり
一緒に行く人が居なくなってしまった。
私や私の子供達とは
たまは行けたけど
もっと沢山行きたかったと思う。
母の
95年を一口では語れない
「持ちに来いよ」
季節ごとの野菜を見る度に今でも声が聞こえる。
あの美味しい野菜は
二度と食べれないけど
感謝の気持ちは薄れない。
私には
彼女を超えることは出来ないが
せめて
健康で長生きは
越えたいと思う。
いけると思う(笑)
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